普段何気なく使っているコピー機ですが、その歴史は一体どのようなものなのでしょうか。

コピー機の移り変わりを知ることで、コピー機について、より理解を深めることができます。

この記事では、コピー機の歴史について紹介します。コピー機の起源から、ジアゾ式複写機やPPC複写機などの代表的な機器まで解説するので、ぜひ参考にしてください。

謄写版|コピー機が普及する前の印刷方法

コピー機が普及する以前、印刷するためには「謄写版(とうしゃばん)」という印刷方式が使われていました。製版するときのガリガリという音から「ガリ版」とも呼ばれる手法です。

謄写版は、トーマス・エジソンが発明した「ミメオグラフ」を、1894年に明治の近江商人、堀井新治郎が日本に合うように改良した方法です。発明後、約100年にわたり日本で広く使われていました。

謄写版では、まずロウでコーティングされた原紙をヤスリ版の上に置き、金属の鉄筆で文字を書いて、点線状の穴を開けます。原紙を絹枠に貼り付け、上から油性のインクを付けたローラーで 押しつけ回転させながら下の紙に印刷します。文字を書いた部分だけ原紙のロウが削られ、削られた箇所にインクが押し出されて印刷される仕組みです。

謄写版は、原紙とインク、謄写機、印刷用紙があれば、誰でも簡単に印刷できたことから、小・中規模印刷で活躍しました。

コピー機の歴史

コピー機の歴史は、1779年からはじまり、約240年間にも及びます。年代ごとに、以下の3つの区分に分けられます。

・1779年|コピー機のはじまり

・1951年~|ジアゾ式複写機

・1959年~|PPC複写機

ジアゾ式複写機とPPC複写機は、現在も使用されている種類です。ここからは、それぞれの区分の特徴を詳しく見ていきましょう。

1779年|コピー機のはじまり

コピー機のもととなる技術は、1779年に、蒸気機関車の発明で有名なイギリスの発明家 ”ジェームズ・ワット” によって発明されました。

ジェームズ・ワットが開発した手法では薄い紙を使って転写する方法が用いられ、インクが裏まで染み込みやすい紙に、別の紙を重ねて圧力を加え、紙から紙へと転写するというものでした。

この手法は、20世紀まで利用されていました。開発初期の手法が約200年間ものあいだ使い続けられたことは驚きであり、ジェームズ・ワットの素晴らしい発明と言えます。

1951年~|ジアゾ式複写機

1951年にコピアが世界初の小型事務用湿気ジアゾ複写機「M型」を発売しました。ジアゾ式複写機では紫外線照射により感光させて化学反応で複写させる手法を用います。

感光紙の特性を活かした複製手法であるため、現像液を塗る必要があり、原稿を濡らす必要がありました。また、感光紙の保管に注意が必要であったり、両面刷り原稿の複写ができなかったりと難点も多く見られました。

ジアゾ式複写機は、現像後の複写紙の発色が青色であることが多かったため、「青焼き複写機」「青焼き機」と呼ばれることがあります。

ジアゾ式複写機では、大判の複写ができるため、図面の印刷に多用されていました。現在でも、複写機の1つとしてジアゾ式複写機は生産されており、設計図面用のコピー機として重宝され続けています。

設計図の複写に用いられることが多いことから、「未来の姿を想像する」という意味を持つ慣用句「青写真を描く」の由来にもなった手法です。

1959年~|PPC複写機

PPC複写機は、現在、主流とされているコピー機のタイプです。1938年にアメリカの”チェスター・F・カールソン”が、PPC複写機のもととなる「ゼログラフィ」という技術を確立しました。

この技術を用いて、1959年にアメリカで世界初の事務用コピー機である「ゼロックス」が開発されました。

ゼロックスでは、薬品を塗らずとも複写できたり、複写時に拡大・縮小ができたりと、さまざまなメリットがあります。多くの企業がこの技術を基本としたコピー機の開発に取り組み、現在の複写機の主流となりました。

コピー機の歴史まとめ

約240年もの歴史を持つコピー機。設計図面用として重宝されている「ジアゾ式複写機」や現在主流となっている「PPC複写機」など、時代に合わせて多様な変化を遂げてきました。現在も、ITの発展とともに、カラーコピーやデジタルコピーが発展しつつあります。

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